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いつの間にか

cat 未分類 — あかねだ @ 11:15 PM

先日いきなり届いたEMSを開けたら、韓国からの本だった。
ん?と思ったが、前の発表が本になったらしい。
予期せぬところで出版された本がやってくるのは驚き。厳しい独法にいる身としては非常にありがたいことです。
韓国でお世話になった先生方、本当にありがとうございました。

日本語可、だったので、べらべらと話し続けてしまったものとしては、討議で何を言ってしまったのか、めちゃくちゃ心配になるところですが・・・。お、討論収録されているな。

・・・オールハングルで読めません。自分のあほさ加減に困る今日この頃。B4さんはじめ知り合いに韓国語堪能な方は多いのに、話をしていた当人が駄目、ってのは・・・。もう少しやさしく、短く、よく考えて話したほうがよかったかも。

という訳で、どんなアホなことを言ってきたのか、気になる方、翻訳してください(<おい!)。

さて。アホはおいておいて、こちらはいい本。

『平城京に暮らす』 馬場基 吉川弘文館

現在、多分奈文研一番のエンターティナー、馬場君の本。
をー、ばびぃ~センセ本出したんだね。これは買わなきゃ、と家で言っていた朝、研究室のポストに入っていました。
いやあ、感謝。でも、買う気だったので、ちと損したね(あ、後で利子つけて代金取りにくるとかなしね)。
まだ斜め読みしかしていない段階で相方に取られました(笑)。
戻ってきたらじっくり読ませていただきます。

しかし、彼の視線でお気楽、と批判されるのであれば、私など脳天気、といわれそうだな。でも、何でもかんでもモノの存在を国家だ政治的な関係だと解釈してわかった気になってしまう考古学の論の定番の展開パターンも考え過ぎなことが多いと思うのだけれどなあ。そもそも、人間ってそんなに変わるものでしょうかね。先人に対する視線が今を生きる我々とはまったく異なるものなんだ、と、ただの研究対象としてのみ見るのはどうなんでしょう。いつも人はもっとしたたかに生きていると思うのだけど。

ということで、紹介してみました(きちんと読んでからせえよ)。

2 件のコメント »

  1. 同感です。
    義理人情,浪花節で考古学っても,
    いいんじゃないでしょうか。

    コメント by ササキ — 2010 年 2 月 7 日 @ 11:11 PM

  2. ありがとうございます。

    前に「所詮土器、されど土器」という発表をしたことがあり、怒られましたが、鏡や武器武具といったものと土器と、同じものが出てくる、という時の意味は異なると思うのです。什器としての性格のあるものなら、より慎重に、というか、何でも出てきたら「~との政治的関係」とか言われると、どうなんだろうかなあ、と。

    こんな場末で言ってないで、早くどこかに書け、と最近よく言われますが。

    コメント by あかねだ — 2010 年 2 月 9 日 @ 12:37 AM

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